中学生の頃、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲を初めて聴いたとき、目の前に宇宙のオーロラが広がり数分呼吸が止まったような白昼夢を体験しました。
白日夢を見たのは2回あります。
2回目は荒川史麻子氏に師事していた音楽教室でした。
以下は 2010年から2016年に運営した「心はいつもairpucci」というブログに記載したエントリーから思い出せる限りで書いてみます。(このブログはアクセス数があり出版社等から問い合わせもありましたが、ライターの盗用にあい悔しくて閉鎖してしまいました)
当時Jazzのgrooveをつかめず苦しんでいた私は音楽教室での個人練習でとある練習をやってみました。メトロノームの拍を裏拍で鳴らすというものです。
単調な音は裏拍に聞こえない、どうしても表に聞こえる、いや2、4、裏でなっているような気がする、だんだん裏に聞こえてきた、いやむしろメトロノームは裏で鳴るものだ。
そう感じた時、確か、ごく普通のスケールをメトロノームの裏拍に合わせて演奏してみた。
その瞬間、あたりにキラキラ輝くものが現れた。金、銀、水晶、シトリンのような黄金に輝く数々の宝石の粒が沢山ある。見ると粒は全体で螺旋を描いていて、私はその中にいるようだ。
「綺麗だな〜」見惚れていたかったが裏拍で鳴り続けるメトロノームに合わせ練習を続けた。するとどうだろう、私の体が黄金の螺旋に沿って動き出した。2拍目、螺旋の下から上へと強い力で押し出される。遠心力を感じる。最初はゆっくりだがどんどん加速し上に行くと速度が落ちる。今度は逆に重力で螺旋の下に押し戻される。加速するがスピードは下に戻ると緩まる。4拍目、また同じ。螺旋内で少し距離を進んでいる。grooveを体得した瞬間だった。
「できた」そう思った時「やっとわかったか」という声がした。宝石でできた螺旋の物体は、龍だったのだ。驚いて呆気に取られていると次第に龍は消え、辺りはいつもの教室に戻った。白日夢を見たのだった。
見えないものを見た聴いたと主張するのはただのオカルトです。真理がないものを探求するのは哲学や宗教かもしれない。自分にしか見えない聴こえないものを誰にでも見える様聴こえる様にするのが芸術であり、真理を積み重ねていくのが科学。私は芸術や科学の方に立ちたいと思う。
20250510 (20221225C社へ送付したメールより。ブログ運営期間を2012年から2010年に修正)